◇ 多量の雪が流れ落ち、山の斜面を削り取ってできた地形 ◇
(雪蝕地形)
 これは、雨飾山に連なる稜線の中腹に見られた、まるでスプーンでえぐられたような地形の写真である。雨飾山頂は画面左上で、木の葉に隠れてしまっているが、山頂の標高が1963.2mであり、それから判断しても、この大きな崩壊地的な地形は、アルプス連峰などの高山帯で良く見られる氷河期の氷食作用によってできたカール地形に良く似てはいるものの、植生が全く見られないほど高い標高に位置してはいないのであるからカールとは異なるものと考えざるを得ない。標高が低いにもかかわらずこのように険しく、植生の全く見られない大きく削られたような地形がどうしてできたのかを想像してみると、ここは豪雪地帯であり、おそらく冬の多量の降雪により雪崩が頻発し、流れ落ちる雪が山肌を削り取り、またその時根付いた植物も根こそぎ引き倒してしまう。このようなことが何万年もの間繰り返された結果、写真のような地形ができたのであろう。
 この他にも山腹に、まるで雨どいのようなU字型に岩が削られており、その溝が何箇所にも渡って山の上から下に走っているのも観察された。これは新潟県の御神楽山で見られるものを代表とするアバランチ・シュートと呼ばれる地形であり、やはり豪雪地帯で多量の雪が何度も山肌を流れ落ち、岩盤を削り取ってしまうためにできた地形である。下の写真は、同じ豪雪地帯の白山山系の山腹で観察されたアバランチ・シュートであり、白山スーパー林道から簡単に観察できる。岩盤がU字型に削られ雨どいのようになった地形が良く分かる。

◇ 植生の面白さ その1
河原の陽樹林(ヤナギ)が・・・。陰樹林が成立しない理由は?)

 雨飾山山頂への登山道は、はじめは少し下って広い河原に出る。そこには写真のようにヤナギの類と思われる陽樹が優占していた。周囲の山腹はブナの原生林で覆われているにもかかわらず、どうしてここだけが陽樹で占められているのだろうか?
 答えは上高地の梓川沿いの河原で、ケショウヤナギが優占している理由と同じであろうと推測している。つまり、河原は定期的に多量の水が流れ出て、川が氾濫し、土壌のかく乱が起こる。特に5月〜6月の雪解けの頃は水量が増えるであろう。すると、そこに生えていた樹木も水に押し流され、このあたりの河原は常に日の良くあたる環境に保たれる。その条件下では陽樹の方が陰樹よりも成長速度が速い。かくして陽樹の幼木が成長し陽樹林が形成される、というわけだ。川の氾濫が無かったら、ここもとっくの昔にブナなどの陰樹で覆われていたことだろう。

この写真も同じ河原の陽樹林


◇  植生の面白さ その2 ◇
(高山帯の低下現象・2000未満の山頂にハイマツが!!)

  上は山頂から少し下った笹原から見た雨飾山頂の写真である。標高は2000mに満たないにもかかわらずこのように樹林帯が全く発達していない。笹原の名が示すとおり、笹が優占しているが、ごくわずか低木の木本も生えていた。その中に、登山道沿いではごく僅かしか確認できなかったのだが、ハイマツが観察されたのである。ハイマツは日本では標高2500m程度の森林限界を超えた高山帯で見られるものであるが、このような低い山頂部にも生えていることに驚いた。おそらく冬の多量の降雪や強風のため、標高が低くても高山帯と同じような環境条件になり、森林限界高度が押し下げられて、写真にしめすような高山帯的な景観を持つようになったのであろう。そして、現在山頂部にごく僅か、細々と生きながらえているハイマツは、おそらく200年前の小氷期やあるいはもっと時代を遡った氷河期などに、周囲のアルプス連峰などからこの雨飾山に分布を広げたものであろう。それが、温暖化した今、山頂部にごく僅か取り残されて生き残っているのである。そう考えると、この雨飾山のハイマツがとてもいとおしく感じられた。